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強烈!3度目の発作

2004年12月17日、家族4人での夕食が終りかけた頃、また、アンディーが突然倒れた。
私達も3度目ということもあって さほど慌てる事もなく、「また、発作だ!」の主人の声で子供達は一斉に箸を置き
アンディーのそばに集まる。タオル、シーツなどを
持ち寄って。
全身の痙攣がアンディーを襲っている・・。本当に苦しそうで、胸が締め付けられる・・・。
何かおかしい・・、時間が長い。3分4分・・・。発作が長い時に使うように言われて渡された座薬を大急ぎで入れてみるが、変化がない・・・。
「まずい!」痙攣が長引くと体温が上がり、簡単に説明すると、内臓が煮えてしまう。
「電話かけろ!!」と主人に言われ、M先生にかけた。
M先生は残念ながら不在だったが、電話にでた先生にアンディーの状態を説明すると
「重積状態なんですね?今すぐその重積をとく治療をしないと命に関わるので 早く病院に行ってください!!近くだったらすぐおいでって言ってあげるんだけど、ごめんね・・・。」
と言われた。
すぐ、K先生に電話した。何回ベルを鳴らしても誰も出ない・・・。その間もアンディーは苦しんでいる・・・、次男もあまりの苦しみように「アンディー頑張れ!!」と声を掛けるが 涙声だ・・・。
主人は友人の獣医に電話をかけている。
私はせないちごさんに電話をした。
せないちごさんは 元同僚で今は 動物病院でトリマーをしながら、治療のお手伝いもしている。
「どうしたの?」と言われ 状況を説明する。
「わかった。先生に連絡してからかけ直す」と言われ
電話を待つ。
主人の友人S先生は診察を終え、自宅に帰るところだったらしく、「来るのなら院長先生に連絡するよ」と言ってくれた。
せないちごさんから連絡がきて「来るならおいで」
と言ってもらえた。せないちごさんのお勤めの病院も
ちょっと遠かったが、アンディーの事もよく知っているせないちごさんの病院に行くことにした。
S先生、ありがとうございました。

家族で病院に行く準備を大急ぎで整え、主人と長男(中2)でアンディーを抱きかかえ車に乗せた。
法定速度はこの際、無視させていただいた。おまわりさん、ごめんなさい。
病院に着くと、せないちごさんとT先生が出迎えてくれた。
診察室にアンディーを運び T先生の診察を受ける。
その時の治療は次の通り。
◆PM9:20  10%フェノバール 1ml筋注
◆PM9:25  左前肢留置針
◆PM9:35  セルシン注射液5mg 2ml静脈注射
◆PM9:50  ソルライト輸液開始

重積状態を解く治療をしていただいた。点滴をしばらく見守っていた。薬の作用で眠ってしまったアンディー。
「これで様子を見ましょう・・。」と言われ アンディーを連れて帰る事にした。
後でT先生に聞いた話だが、1目見てアンディーの状態の悪さに驚いたそうだ。

しかし、残念ながらアンディーはその夜、私たちを一睡もさせてはくれなかった・・・。
薬が切れてくると また発作が始まりその度に「頑張れ!!頑張れ!!」と声を掛ける。
座薬も入れてみたが 効果がない。
このまま死んじゃうのでは・・・?ととても不安だった。

翌朝、アンディーを置いて仕事に行くのは辛かったが
夫婦で時間を工夫して、
常にどちらかがアンディーのそばにいられるようにした。私の職場でもその話をし、店長が気を利かせて
早く帰らせてくれた。

夕方、主人ともう1度話し合い、T先生に診てもらうことにした。
T先生の所へ向う車の中でも アンディーは発作を起こした。頭を仰け反らせ 前肢を突っ張り泡を吹く・・・。
病院に到着。3人がかりで診察室へ。
T先生もアンディーの様子を見て困っていた。
原因がわからない以上、癲癇の治療しかできない・・・。
診察台の上でも また発作が・・・。
T先生も立ち尽くす。
私が苦しむアンディーを見ていられず、思わず弱音を吐いた。
「もう、楽にしてあげる事の決断をしなきゃいけないんじゃないの?アンディーが可哀想だよ!!苦しんでるよ・・・。ねぇ??」
と主人に訴えた・・・。T先生も「アンディー君も頑張りましたよ・・・。」とおっしゃった。
しかし、主人の主張はあくまでも、アンディーを生かす事。「T先生、入院させてもらえませんか?もう少し アンディーには頑張ってもらいたいんです」
とお願いした。
T先生は快く「お預かりします」と言ってくれた。
アンディーを置いて病院を後にするのは 後ろ髪を引かれたが、正直体も不調だったのでその夜は ゆっくり眠らせてもらった・・・。





翌朝、せないちごさんがいつもより早く出勤してくれて、携帯にメールが届いた。
発作はまだあるが ちゃんと生きていた。
朝の仕事を終えた主人が アンディーに会いに行ってくれた。オムツとタオルを持って。
せないちごさんが心を込めて介護してくれているのが
本当にありがたい。
アンディーは眠ったばかりで 主人が行っても起きなかった。残念。
明日はママも来るからね。
 
その日、私は仕事に行った。5年と5ヶ月勤めて 初めてスッピンで出勤。アンディーの事は同僚たちも知っているので 何も言われない。私も誰にも言わずに我慢していたが 1人の子にアンディーに何かあったでしょ?と聞かれ その瞬間、こらえていた涙が止まらなくなった。その子ももらい泣き。みんな、ありがとう。

2005年12月20日、昨晩主人と話し合って 今日アンディーをうちに連れて帰ってこようという事にした。
私の仕事と主人の仕事が終ってから 夕方、迎えに行った。
その日も朝からせないちごさんが携帯にメールをくれていて いくらか痙攣が止まってきたという。
でも、楽観は禁物。点滴ごと退院してしまおう!!と考えていた。

私たちが病院に着くと T先生と看護士さん、せないちごさんが待っていた。もちろん、アンディーも。
診察室ではアンディーも緊張するので 待合室に運んで 様子をみていた。私たちを理解しているのか始めはわからなかった。T先生がご飯をちゃんと食べれたら退院してもいいんだけど、といった。
持参したおやつをアンディーに与える。ん?食べない・・・。これは?とレバーの水煮缶を開けてお皿にのせた。するとアンディー、バクバク食べだした。やったぁ〜!!ドライフードもあげてみる。食べる食べる!!
T先生から退院の許可が出て、前肢の留置がはずされた。ご飯をあげている時に せないちごさんが アンディーのウエストのところをヒョイと持ち上げてくれたら 立ち上がって歩き出した!!しかし、左旋回を繰り返す。痙攣の後遺症なので、じょじょに回復するでしょうとT先生が言ってくれた。
病院の外にも出てみた。まさか歩けるようになるなんて、思ってなかったからリードを持っていかず せないちごさんに借りた。
T先生は「アンディー君も頑張ったんだから、楽にしてあげる事も含めて考えてみて・・・」と1度は口にした事をちょっと後悔しているかのように見えた。
ううん、T先生、そんな事はなんとも思ってないの。アンディーを元気にしてくれた事にはかわりないんだから。
1週間は安静にして、その後は普通の生活をしていいという。
アンディーを車に乗せ 3人に見送られながら病院をあとにした。
家では2人の息子とピアリスに迎えられ、2日ぶりに家族全員が揃った。
でも、これからのアンディーはどうなっていくのだろうという漠然とした 不安は消えなかった・・・。


    

                           

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