競走馬のお話

                    みなさんは競走馬になんか興味ないですよね。でも、馬だって懸命に生きている。
                                  私たちが競走馬のそばで暮らすようになった お話です。


’98○○エッセイ賞 佳作受賞作   夢から夢を・・・・・・


 その日、私は馬の嘶きと、土を踏む蹄の音で目が覚めた。
それは主人と私が現実になる事のない「夢」として ずっと描いていた「目覚め」だった。
隣で眠っていた主人は、夜が空けるかなり前、真新しい長靴を履いて 今日から自分が所属する厩舎へと向っていた。

 そう、ここはある地方競馬のトレーニングセンター。
ここで主人は、厩務員としての人生の第一歩を踏み出すと共に、彼の夢について来た 私と2人の息子の、見知らぬ土地、見知らぬ環境という意味では不安もあったが、馬と暮らせる喜びを胸に抱えての、新たな生活の始まりでもあった。

 ここでの生活を決意する以前、主人は実夫の経営する寿司店に、17歳からの10年間、板前として働いてきた。
その間、私と出会い結婚、後に2人の息子にも恵まれ、そのまま板前を続けて行けば、行く行くは店を任され食べていくには困らない生活が 約束されたようなものだった。
安定だけを考えれば、主人も それが最良の方法だと漠然と考えていたのだろう。
競馬に出会う前までは。

 私たちが結婚した平成2年、あのオグリキャップが6歳迎えていた。
4歳から続くオグリブームに乗るように、私達も競馬をテレビ観戦するようになった。
オグリキャップは周知の通り、数々のレースでドラマを作り、その度私達も魅了されていき、競馬そのもの自体に深い関心を持つようになった。
オグリキャップの引退後、次々と現れる スターホースと呼ばれる馬達もまた、私達を虜にしていった。

夫婦の会話が競走馬のことばかりになり、子供の名前にも「馬」の文字を使って名付けた。

競走馬が生まれてから引退するまで、関わった人々の夢を背負っている事や、競馬がただのギャンブルではない事を 感じた私達は、いつしか、競馬に関わって生きてみたいと、自然に思うようになっていったのだった。

 板前の父を持つ主人は、自分も板前になることは望んでいなかった。幼い頃から、自分には不向きな職業だと肌で感じていた。
カウンターに立つのが苦手だった。しかし、父の願いに背くことはできず、父の望むまま、その道を歩みだした。

若くして家族を持った主人は、他の道を選ぶチャンスを失い、惰性に流されるようにして板前を続けてきた。
しかし、彼自身その惰性からの脱出の決め手になるものを探していた。
男として生きる以上、充実感や達成感を味わうことのできる仕事に就きたいという願望は捨てられなかった。

 そして、さらに競馬マニア化していく自分の中で、競馬をより身近に存在させたいと 強く思うようになるまで そう時間はかからなかった。
競馬の社会に身を置いて生きたいという夢を 持つことになった主人は、それを実現することを本気で考えだした。

とは言うものの、馬に触れたことも無く、そして家族を抱えた主人が、競馬社会で生きることなど、到底不可能だと私は思った。
しかし、主人の意思は固く、いつしか私も賛同し、このような私たちが何をどうすれば、不可能を可能にできるのか、模索し始めた。

 日高にある 軽種馬調教育成センターの研究生募集の広告を見つけた。仮に合格すれば、研修終了後は、牧場に勤めることができる。

年齢制限がギリギリで、次回では応募の資格さえ失ってしまうこともあり、思い切って書類を送った。しかし、敢え無く不合格・・・。
脱力感が全身を襲い、さすがにショックを隠せなかった主人だったが、それくらいでは諦めはしなかった。

 職業安定所、今はハローワークと呼ぶようだが、そこにもいってみた。生産牧場の求人を調べた。
幾つか掲載されていたが、殆ど、「独身者」の条件が付いていた。溜め息を吐きながら、そこを後にした。

トウカイテイオーが 無敗のダービー馬になった年に生まれた長男が、小学校に入学する時期が 近づいてきた。
主人は入学前に、新しい生活を始めなければと少し焦り出した。そうすれば、小学校の6年間を、転校させることなく卒業させてやることができる。
そうするには今しかない。主人は改めて決心し、以前から気になっていた地方競馬の厩務員の条件を調べようと思った。

JRAの厩務員になるには 競馬学校の厩務員課程を卒業しなければならず、
受験条件の年齢がすでに超過していた。


 平成9年1月のある日、主人と私は、全国の地方競馬場の連絡先を調べた上で、受話器を手に取った。
 「厩務員未経験でも雇ってもらえますか?」
と、問うと、
 「できれば経験者のほうがいいねぇ」
という返事だった。気を取り直して、また、次へと電話をかけた。
 「素人でもやる気があるのなら、雇ってあげられますよ」
という返事が返ってきた。その方は調教師会の 世話役さんで、主人の話を熱心に聞いてくれた。事情を簡潔に説明すると、
 「そう簡単な仕事じゃないし、長続きせず辞めてしまう人もいるけど、貴方が家族を連れてくるっていうくらいの決意があるのなら、雇ってくれる調教師、探してみましょう。」
と、やっとそこまで漕ぎ着けることができた。

 なんとか現実味を帯びてきた主人の夢に、その晩、
興奮が冷めず、夜遅くまで2人で語りあった。
 その後、なかなか連絡を貰えず、
 「やっぱり駄目なのだろうか・・・」
と 弱気になりかけていた頃、
 「厩務員やりたいっていうことだけど・・・」
という 待望の電話がきた。現在の調教師からだった。
こちらの事情は承知の上で、一度、面接を兼ねて
見学に来てほしいとのことだった。
 また、一歩近づいた。今すぐ飛んで行きたい気持ちを抑え、翌週先生に会いに行った。
内心、不安もあった。本当に主人に勤まるのだろうかと。

 トレーニングセンターに到着し、守衛の許可を貰い中へ進むと、馬場が見えてきた。人にひかれ、運動をしている馬もいた。胸がワクワクした。
私たちが頭の中だけで描いてきた風景が そこにあった。
 先生に会う。挨拶を交わした後、未経験でも努力しだいで、結果を出せる世界でもあるので、やりがいのある仕事だという話を、馬房を背にして聞いた。
中で馬が飼葉を食んでいた。
帰り道、車を運転する主人の横顔から 不安の色が消えていた。


 反対されるのが怖くて、今までの一連の行動を 誰にも打ち明けずにいた私達は、周囲や主人の父に 許しを得るという、最大の課題を残すのみとなったのだった。
 

父には父の夢があった。
二人の息子に 一軒ずつ店を持たせ軌道に乗せ 自分は隠居する事がそれだった。 その夢を壊すことは 主人にとっても不本意だったが 自分の夢も掴み取らねばならない。
覚悟を決め、主人は父に話した。


「店を辞めて 競馬場で厩務員やりたいんだ」と。父はさほど驚かなかった。父も主人が板前に向かない事くらい気づいていたのだ。主人は今日までの行動の全てを話した。
「俺1人では 返事ができない」
と父が言い 後日、父、母、兄私たち夫婦の5人で  話し合いの場が持たれた。

兄は 基本的には反対だった。将来 兄弟で店を経営していきたいと言った。母もそうして欲しいのが 本心だった。
私はただ 黙っていた。

決して 饒舌とはいえない主人が 板前を続けても皆の期待には添えないであろう自分を 嫌悪してしまいそうな事、この件で迷惑を掛けるのが 心苦しいこと、でもどうしても厩務員は諦められないことを、自分なりの言葉で話した。

沈黙の時が流れ、誰もが口を閉ざし考え込んでいた。
「行かせてやったらどうだ、お母さん・・・・」
 父だった。緊迫していた空気を 主人の肩が揺らした。その揺れる肩の向こうで声がした。
「頑張れよ」
兄がそう言い、母が両手で顔を覆いながら頷いた。
「ありがとうございます・・・」
 むせび泣く主人と私の 精一杯の感謝の言葉が部屋に響き、父が小さく頷きながら 部屋を後にした。
そして その背中が小さく震えていたことに 気がついたのは 私だけではなかっただろう・・・・。


それから2ヶ月後、長男の入学式に間に合うように 私達家族4人は 父たちの住む土地を後にした。
それまで私たちを支えてくれた多くの人々の激励を受け、それに応えることを誓い、夢だった生活が待つ 新たな土地へと・・・・。


そして、「その日」から1年が過ぎた。長男は小学2年生になり、ナリタブライアンが三冠馬になった年に生まれた次男は 幼稚園に入園した。
子供達は 瞬く間に大勢 友達を作り 私たちをホッとさせた。
主人もなんとか厩務員らしくなった。先生や先輩達に助けられ、数々の経験と知識を得た。
寝藁をあげるのも早くなった。馬に足を踏まれ、何度か爪も剥がしたが それを避けるワザも覚えたようだ。とは言っても まだまだ未熟な厩務員であることには変わりないが。

担当場との別れもあった。仕事に就い10日ほどで 下見ではじめて馬を引き、厩務員としての初勝利をくれた馬が 繁殖にあがった。ナリタタイシンの仔を受胎したと報告があった。
3年後に会えることを信じたい。

怪我や転厩が理由で 何頭かの馬を馬運車に乗せ、私も主人と一緒に見送った。
カラッポの馬房は ちょっと切ない。

レースの時は 私が馬のたてがみに「わたり」を編み 手作りのメンコをして競馬場に送り出す。私はそれが楽しくてしかたない。

今、1階の住人が大きな物音をたてた。なにせ、500キロもある住人だ。文句も言えまい。
飼葉桶を 壁にぶつける音だ。

ベランダに干した洗濯物に顔をつけ 大きく息を吸うと 微かに乾いた寝藁の臭いが 鼻を刺激する。
そうする度に この生活を夢見ていた頃を 思い出す。

そして今は 主人が手がけた馬で私が「わたり」を編み、手作りのメンコをつけて いつか大きなレースを制するのが私たちの夢。
決して1人で叶えられる夢ではないが そんな夢を持てる事を 主人の父母、応援してくれた友人達、私の父母、皆に感謝し日々、馬に情熱を注いで行こう。

「叶えた夢」から見つけた夢を、もう1度 叶えられるように・・・・。      (完)

             競走馬写真館へGO〜!!

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